今更ながらに菱呂の姿を望みながら、見石は一人で祭事家に足を踏み入れた。
家人に案内されて回廊を通り、すぐの所にある客間に通された。
一陀羅は柔和な笑みを満開にして、見石へ両腕を広げた。
「実は来てくれないのではと、半分は思っていたのだよ」
「……わたしの娘のことがあるからでございますか」
見石は相手の前に応え、自ら返した。
「わたしも里に生きる者です。仕方ないことだと分かっております」
そう唱えて、見石は菱呂を思い出した。友はずっとこの言葉を繰り返していた気がする。
あの奥に、口にはしないまま、どんな想いを丸め込んでいたのだろう。
「奥方は息災かね」
「はい。お陰さまで」
「本当は生んでからが始まりだが、君たちご夫婦は既に十二分な務めを果たされたのだ」
見石は迷った。話が掴めない。世間話でわざわざ呼び出すわけもないだろうに。相手が相手だから、ただでさえ気まずくなってもおかしくないのに。
「君は自分の赤子をどれだけ抱いたかね」
「はあ……ごく短い間でしたが」
「生まれたばかりの赤子では、親のどちらに似ているかは判然としない部分がある。短い時間では、余計にわからないだろう。髪も薄く、目をつぶっている」
一陀羅はますます眼光をやわらげた。
「君は瞼をあけた娘の顔を見たことが? 父と母、どちらに似ていると?」
「いえ……見ることはありませんでした。どちらに似ているかも……」
すると一陀羅は不意に、石ころをぽんと投げたような声を出す。
「君達ご夫婦は、防人どのと随分な親交があったそうだが」
それからこの日一番の笑みを浮かべた。
「君は自分の娘の瞳が、水色であったかもしれないと考えたことはないのかい」
見石は意味を飲み込むまで、まばたきを一回。
そして開いた瞳に再び一陀羅を捉えた刹那、誰に対してかも怒りかどうかも分からない衝動で立ち上がっていた。
「有り得ません!」
何か、何かが頭を支配してしまう前に、言葉で埋め尽くした。
「わたしの妻は、わたしの妻です! あいつは里の誰より真っ当な男です。それはわたしだけではない、皆への侮辱だ。あの子は俺の娘です!」
見石が怒ったが早いか、一陀羅はすぐに深々と頭を下げた。
「うむ、全くだ。今のはわたしが悪い。謝ろう、この通りだ」
見石は己が吠えたものを見失いかけた。「君の娘は、ちゃんと君の娘だ」……相手はこうも言い添えたが、もはや意味はない。
たった一瞬でも謝られ否定されようと、言葉によって存在させられてしまった幻の姿を、まったく無視することなどできない。
――摩耶女、と。菱呂。
善き者同士、十二分にあり得た可能性のある一つの姿に。
「今のはだね、君の心根の程を知りたかったが為の、真っ赤な大嘘だ。君が立派な心を持った夫だと知れて、わたしは嬉しい」
一陀羅が片手をあげて和やかに促したので、見石はもう一度座についた。
「そこで、だ。ひとつ君に、相談がある」
見石は考えてはいけない何かに肩を揺さぶられながら、男の話を聞いていた。