「水奈女(みなめ)、水奈女ぇーっ、どこに行ったの、水奈女ぇっ」
窓の外から摩耶女の声が聞こえてきたが、午睡にまどろんでいた菱呂は、特に目を開けるでもなく居間に寝転んでいた。
水奈女はお転婆だからどこかで遊んでいるのだ。最近すっかり母親が板についた摩耶女は、可愛い盛りの娘をしつけたいのだが、なかなか思惑通りにはいかないらしい。山菜採りを教えてくれとも頼まれているが、そちらもまだ幼すぎる。
しかし枕元で縫物をしていた伊由古は、菱呂の額を繰り返しこづいた。
「ひしろさま。まやめさま、みなめさん、よんでます」
伊由古は名前を呼ぶごとに、広げた指を一本折った。
「さがす。いらないですか」
「いらないよ。大丈夫」
「ひしろさま。なまける」
「うん? それは心外なんだけどなぁ」
菱呂は苦笑して、伊由古の頭を撫でた。彼女はくすぐったそうに目を細め、菱呂の手をよけるでもなく重ねるでもなく、指先で撫でてつつく。
あれから伊由古の姿はこれといった変化もない。
以前よりは肌の色が濃くなり、多少は肉付きが良くなった気もするが、見違える程の変わりはない。
伊由古は菱呂の胸に頭を預けた。菱呂も彼女の肩を抱き、鼓動に合わせ、母親がするように彼女の肌を手のひらで優しくさする。
「伊由古は、寒いのかな」
「ひしろさま、あたたかい。いゆこ、あたたかい、です」
二人でもたれあいながら、伊由古は菱呂の体のどこもまさぐってこない。
やっと、何もしてくれなくなった。
並んで座り、どちらからともなく再び眠りそうになった時、幼い客が戸を叩いた。
菱呂が戸を開けると、まだ彼の腰にも届かない背の水奈女がいた。
「あたち、おことづけ持ってきまちた」
水奈女はさっさと家に上がり、伊由古の隣に並んだ。それから卓に置かれた縫物を見やる。縫物と言っても、何でもない布切れにただ糸を上下させているだけの代物である。それでも糸は左右にぶれ、長さの粒もまるでそろっていない。
「姉たま、ちっともよくならないのね」
首を傾げる水奈女に、菱呂が頭の上から声をかけた。
「水奈女ちゃん、なにかご用事なのかな。斗々富貴さんから?」
「違うの。えっとね、畑にいてね、お水くみに行ったらね、女のひとに言われたの。お日さまみたいな髪と、お空の色したおめめの男の人、いませんかーって」
菱呂は気取られぬように息を呑み、僅かに眉を引き締めた。
「どんな女の人だったか、教えてくれるかな」
水奈女が全て言うか言わないかの内に、菱呂は上衣をひっかけた。
「水奈女ちゃん、僕が帰ってくるまで伊由古姉さまと遊んでてね」
「はーい、わかりまちた」
彼女は元気いっぱいに応じると、また縫物を始めた伊由古の手を覗き込んだ。
「姉たま、それじゃよくないわ。あたち、おしえてあげる」
伊由古は針と糸と布を水奈女に渡した。
その手もまた、かつて小屋に居た時と変わらず、丸く切りそろえられた爪とささくれ一つないぬるい指先をしていた。