菱呂は三役の間に通されても、己の膝や拳ばかりを見ていた。
見ようとして見たかったのではなく、他の何かを目にしたら何かを考えて感じてしまいかねなかったからだ。
考えなければ、辛くない。考えなければ、悲しくない。
この水色の瞳に映るものは、いつも通りの自分の体で、それでいい。
「……私も君に話したか、君が知っているものだと思い込んでいた」
八右智は、菱呂が眼差しを上げるのを待たずに話し出した。
「次なる火和湖霊女は、見石と摩耶女の娘に決まった」
事実は言葉にすれば一言で済んでしまった。
菱呂はぎりっと奥歯を噛み締めた。無知すぎて、これまで考えもしなかったが――霊女とて里に生まれるからには、どこかの母から生まれる娘だったのだ。
祀りのたび、必ず誰かが娘を失うことになっていたのだ。
「どうか落ち着いて聞いて欲しい。君が今抱えている葛藤を、これまで歴代の侍人に防人に侍女、そして霊女を授かった親が感じて居なかったと思うかい?」
八右智はあくまで穏やかである。説得や悟すという、偉そうなものではない。
「……いえ」
「では、分かるね。この里は火和湖によって守られ、御山の恵みを頂いている。今回はたまたま霊女さまが、君の友人の娘に降りられた。それだけのことだ」
「降り……る。って……」
菱呂の脳裏に、あの伊由古の姿が思い浮かんだ。確かに彼女は人らしくない。湖霊の元から降りて来た少女なのだろう。しかし、
「見石は、人です。摩耶女さんも人です。二人の娘なら、橙色の果実か夏の野原のような子になります。それは命そのものです。生きているのです。あの二人の娘が……」
「人が生んでも、人ではない。霊女さまだ。次の霊女さまは、今の霊女さまが十六歳の生まれ日を迎えられてから最初の満月を越し、そののち最初に生まれた娘に宿る。見石と摩耶女がどのような親であるかは関係ない」
「ではっ……伊由古さまの、母君は……?」
「伊由古さまの母君は由馬(ゆうま)さまとおっしゃった。元よりご病気で、産後すぐに亡くなられてしまった。伊由古さまが霊女であったことに、何かお心持ちを伺った覚えはない」
「では、その前の、先代の霊女さまの母君は」
「無論、納得されている」
八右智は息を吸うと、角の立った険しい眼差しを向けた。
「では菱呂くん。次代の霊女さまが他の親の娘であったら、君はどうしていたのだ?」
菱呂は思う。きっと誰であっても、驚きはしただろう。しかし見知らぬ者の娘に、このどうしようもなくやるせない気持ちを抱いた……抱けた。その自信はない。
「……わかりません」
素直な返事に、八右智も再びやわらかな姿勢に戻った。
「誰かであって良く、誰かであって悪いということではない。公平に訪れるのだ。我々は等しく御山の元に生まれ、等しく生かされているのだから」