天の仔  第1章 − 4回


「この奥、扉の向こうには、火和湖霊女(ひわこのたまのめ)さまが居られる。時に菱呂くん、君も里に生きる者として、君が任を務める防人と祀りのことは知っているね?」
「はい。里をお守り頂くために火和湖から降りられた、湖霊さまの嫁君が火和湖霊女さまです。霊女さまと湖霊さまが挙げる婚儀の一連のことが、祀りです。僕がお務めいたします火和湖防人は、里人から選ばれ、祀りに立ち会うお役目だと。恥ずかしながら、これ以上は……」
「充分だ。始まりの祀りから三一四年、一九人目の霊女さまを迎えた今も、変わらないことだ。よく心得ておきたまえ」
 話し続ける八右智に、理島が畳んだ衣服を差し出した。白い被りものの一式である。
「防人は祀りの際、霊女さまをお守りする者だ。故に里一番の棒使いが選ばれる。私の任である侍人(はべり)は、火和湖に臨む一切の祀りを行う。これは私の家である祭事家の長と決まっている。また理島は侍女で、霊女さまの世話役だ。目通りは彼女が仕切ってくれる。君は棒の他になんら任を負うことはない」
 彼は被り衣に首を通すと、菱呂の分も侍女に渡させた。
「霊女さまの前では、白いものしか身に着けてはならない」
 被り衣は床を引きずる長さで首から足までつなぎ目がなく、腰のみ布で縛る。靴も白い布でてきた柔らかいものに履き替える。頭には一枚の頭衣をかける。額のところで紐を巻いて横に縛り、固定する。これで辛うじて見え隠れする口元を除き、頭は髪も布に隠れる。
 頭衣の目の部分は四角く透かし編みされており、視界は割によく効いた。視野が左右に若干せばまり、気持ちうす暗い程度だ。それでも外からでは目の姿は見えない。
 白い衣は分厚かった。菱呂が着ている濃緑の上衣、渋草色の下衣、そして薄茶色の袴も一切が透けずに白で覆われた。三人で並ぶと、女のなだらかな線も男の骨太さも無い。被り衣と頭衣は各々の姿を隠し切り、違いは背の高さだけとなる。
「菱呂さま。これより先は、火和湖霊女さまの御前となります。霊女さまはわたくしどもとは異なる世に生きる方。俗世に汚さず、火和湖に嫁いで頂くのです。くれぐれも、ご用のないことは口にせず、なさらないで下さいまし。それから――」
「決して、頭衣の前を上げてはならない」
 八右智が、菱呂の頭衣の目元に触れた。
 奥の扉にかかった錠を二つとも外すと、小さな空間が現れた。奥には更に扉がある。
 その最奥の扉が開かれた。
 今度もまた、真っ白の部屋だった。床も壁も天井も白布が張られ、椅子も寝台も寝具も天蓋すらも白一色でのみ作られている。
 中央の高くなった座には、一人の少女が座っていた。
 奇妙な衣装を着ていた。二重三重に白い布を羽織り、着流したり胸の下や腰で縛ったりしている。手も足も隠すように全身へ布を巻き付けており、全て白い。
 少女は部屋に人が現れても、身動き一つせず、眼すらも動かさなかった。菱呂は、少女は霊女の代わりの人形かと思った程だが、少女の胸はかすかに上下している。だが顔は無表情そのもの、薄ぼんやり開いた唇も言葉を発する気配はない。丸い鼻やなだらかな眉は愛らしいが、まるで気持ちが読み取れないために、整った顔立ちすら正直なところ――怖い。
 この部屋で白くないものは、少女の青っぽい肌と、栗色の長い長い髪、眉とまつ毛、白菊ほど色の薄い唇。そして半分が伏せられた瞼に収まる、茶色の瞳だけだった。
 座の真下で、八右智と理島は片膝を突いた。菱呂も同じ格好に従う。
「火和湖防人の菱呂をお連れしました」
 八右智が告げ、理島が菱呂に挨拶を促した。
「お初にお目にかかります。この度、火和湖防人を仰せつかりました、菱呂と申します。霊女さまにおかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じます」
 名乗っても、少女はしじまだった。菱呂も無視されたことに不愉快はない。少女はこの声が耳に届いたか疑いを覚える程、何ら反応がないからだ。瞳も何を映しているとも知れない。
「――伊由古さま。今はこれにて失礼いたします。また後に参ります」
 八右智が立ち上がり、菱呂も従った。一度、礼。退出する際にも座へ、一礼。
 その間も少女は、ただ黙って座っているだけだった。