天の仔  第7章 − 3回


 理島が白い布を伊由古の頭にかけ、外の様子を見せないように目を覆った。
 続いて八右智が彼女を抱き上げ小屋を出る。
「菱呂くん、籠を開けてくれ」
 菱呂は籠の上についた蓋を除けた。八右智が籠の中に伊由古を下ろし、座らせると、蓋を閉める。上から理島が真っ白な布をかけ、かご全体をすっぽりと包んだ布の下端は紐で縛った。
 ここで脱いだ衣は後でまた使うということで、三人分をまとめて理島が持った。
「では、行こう。君は後ろを」 
 命じられるまま、菱呂は後ろ側の棒を持った。
 籠を持ち上げてもやはり伊由古は軽く、肩に食い込む重さは無かった。
 三役の間を抜けると、若い衆が控えていた。ここから先は火和湖まで、彼等が交代で籠を担ぐ。家人の中でも力自慢をそろえたので、菱呂より八右智よりも遥かに逞しい。
 一列に並んで祭事家の門を出ると、もう里中の人間が集まっていた。
「こんなに居るものなんですね……」
 菱呂が思わずつぶやくと、理島が静かに応じた。
「霊女さまは、里の全ての者が見送らなければなりません」
 多くの里人が居たにも関わらず、今はさすがに菱呂への罵声は無かった。
 籠が門の前に降ろされると、八右智が布を解いた。歓声が大きくなる。しかし彼が片手をかざし、手のひらを地面に向けると、群衆は前方からなぎ倒されていくように静まりかえった。霊女を前にして、余計な言葉を口にしてはならない。
 侍人は里人の左右を見渡すと、籠の窓を開けた。
 この時ばかりは「おお……」、どよめきが広がった。小さく囁くように、しかし雷鳴に似た早さと雨のようなひっきりなしの衝撃が辺りを満たしていく。窓はせいぜい伊由古の胸から口元までしか見せなかったが、里人に何事かを伝えるには充分だったらしい。早速、老人には涙を流す者が現れた。子供も熱心に拝んでいる子もいれば怖気づいた子もいる。
 菱呂は父や加佐名を目で探ったが、分かる範囲にはいなかった。
 反面、見石と摩耶女が見つからないことにも安心していた。ここに居る二人の姿は、想像したくない。
 と、門の外れの方から視線を感じた。
 強張った表情の斗々富貴が立っていた。
 ――斗々富貴さん、大丈夫です。そんな顔をなさらないでください。
 菱呂は目礼した。自然と頬が笑っていた。
 視線を前に戻した頃、八右智が窓を閉めた。
 若い衆が籠を担ぐ。侍人が先導して門を横切り、塀に沿って屋敷の裏側に回っていく。
 裏の斜面を登って下り、山なみに入った。
 斜面を登り切った所で振り返ると、里人は皆、祈りの姿勢で見送っていた。
 一路、左へ進んだ。
 墓が眠る丘陵を後にし、道は坂に、時に平たい。八右智に疲れはなく、山菜採りで慣れた菱呂は問うまでもない。理島だけは早速、息を切らしている。だが背負った杖をまた使っていないので、余力はあるらしかった。
 花や草に覆われていた土に、石が混ざるようになった。
 と思うと変化はあっと言う間で、見る見る内に灰色の石で覆われた地面に踏み込んでいく。
 緑色のものがなくなっていた。里全体を見下ろせる高みに来ていた。
 一行は御山に入っていた。
 菱呂はしばし、鳥の高さを味わった。里の向こうは、もっと高い山々が囲んでいる。家々は指先で転がせるほど小さく、あれほど立派な祭事家と他の家も微々たる差しかない。
 小さな里だった。
 こんな小さな里で目が水色だの何だのと、それがどうしたと言うのだろう。
 いや、両手の間でくくれてしまう程の場所だから、ほんの小さな染みでも目立った。目が水色で髪が金色の者は、取るに足らないものと言い切れるには大きいつぶてだった。針先の小ささだから、ちくりとした。きっと針に刺され続けていた里も、痛かった。
 ――だから僕はこの里を痛ませ続けた、よそ者だった。
 御山を登り始めて間もなく、一行は山の裏手側に回った。
 いよいよ里のどこからも臨めない景色が広がり始める。
 御山の裏には、実に高い山々がそびえていた。御山と裏の山との間は谷で、大きな河が流れている。その河を越えれば緑がまた茂っている。御山から河までは切り立った崖がそびえ、時折、下から冷たい風が吹き上がった。
 石ばかりの斜面は起伏が激しく、見通しが悪かった。さすがに侍人は道を覚えており、岩こぶの間を器用にくぐっていく。道は曲がりくねり、右側の谷は時に見えなくもなった。
 易しい道ではないが、籠をかついだ若い衆も交代しながら充分に運んでいる。理島もたまに足を取られるが、菱呂が手を貸しながら、目立った苦労はなく歩けている。