天の仔  第4章 − 3回


 菱呂が屋敷から出た頃には雨が降っていた。雨では畑は耕せない。しかし家に帰れば、父が「どうして昼間っから家に居るんだ」と怒りだす。
 雨でも外に出るしかない時は、山菜を採りに行くのだった。
 山々の森に少しばかり足を踏み入れる。
 ゆるくなった土や雨の空にも慣れれば、山菜採りも上手くなった。
 菱呂は里の西側から山に入った。雨は細い。昼だから、もう春だから、寒くはならない。むしろ肌のぬるさを引き出してくれる水は、あたたかかった。
 やがて雨が上がった頃、菱呂のかごには充分な山菜が積まれていた。西で日当たりが悪いとして里人も避けるのか、旬の割に多くの恵みが残っていた。濡れた体も雨上がりの森を行けば清々しい。衣は濡れてびちゃびちゃ鳴るが、干せばなんということはない。
 御山はどんなこともお見通しで、山菜を欲張れば次の機会では決して恵みを頂けない。だから「取り尽くせ」という父を誤魔化し、いつもは見石達にお裾分けしてきた。
 今、木立の切れ目から斜面を降りれば、真正面には斗々富貴の家がある。
 かごを抱え、陽を浴びたら、自然と脚がその方へ向かっていた。
「誰だい」
 戸を開けた斗々富貴が見たのは、ふくさいっぱいに山菜を抱えた若い客人だった。
「昨日は急に押しかけてしまい、とても失礼をいたしました」
 菱呂は丁寧に腰を折り、特に良いものをまとめたふくさを差し出した。
「お詫びです。裏の木立から採って参りました。どうかお受け取りください」
「山菜って、なにやってんだい。あんた、ずぶ濡れじゃないか」
「雨でしたが、山菜は採れました」
「どうしてまたこんな日に」
 父のことを言うわけにもいかず、菱呂が口ごもると、斗々富貴の顔色に僅かに陰りがさした。彼女はそれから贈り物の中身に、ますます口をあんぐりとさせた。
「そてつ、わらび、かたくり……つくしも。これを雨の中、採ったのかい」
「はい。慣れていますので」
「大した名人がいたもんだよ」
 彼女は息を吐くと、
「菱呂と言ったね」
 菱呂の表情が輝いたのと、斗々富貴が笑ったのは同時だった。
「おあがり。風邪をひいてしまうよ」
 濡れているから菱呂は遠慮したが、斗々富貴は構わず居間に通した。
 手ぬぐいと代わりになる衣服を貸すと、今しがた採ったばかりの山菜であつものまで作ってくれた。
「あの、僕には構わないでください。すぐお暇しますから」
「でもあんた、腹が減ってるだろう」
 菱呂がぐっと腹を抑え、唇を固くすると、斗々富貴は大きく笑った。
「男が腹減ったかなんざ、見りゃあわかるのさ。雨は上がったのにまだ雨に濡れてるような顔してるからね。食いしん坊の主人と三十年つきあって、ちゃんと最期まで見送ったんだ」
 彼女はあつものが煮えるまで、とりあえず茶を注いでくれた。自分にも茶を用意し、菱呂が座った卓の正面に回ると、湯気のように溜息を吐いた。
「……勘違いおしでないよ。あたしが外へ出なくなったのは、主人が死んで、あれこれ楽しくなくなっちまったからだ。娘のことは、とうの昔にけじめがついてる」
 客が茶に手をつけてから、斗々富貴も少し姿勢を楽にした。