天の仔  第2章 − 2回


 途端に菱呂の胸が有り得ないほどの大きさで鳴り始めた。一糸まとわぬ伊由古は、全く肉づきのない尻も棒のような脚も露わになっている。彼女の髪は長いが、やわらかくばらついているので、身体を隠したりもしていない。
「早く、なんてお姿で……!」
 理島はもたつきながら被り衣を脱ぎ、それを伊由古の体に巻き付けていた。
 霊女と言えど、体に意外な特徴はない。服の上からでも分かる通り、乳房のふくらみは無いに等しいし、ろっ骨の下から腰もへこんで丸みが無い。
 そして伊由古の細すぎる脚がくるりと回って、菱呂は「あっ」と息を呑んだ。
 伊由古に目を奪われたのは、やましい想いからではない。
 菱呂はある夜中を思い出した。
 居間の奥の流しから物音がして、怪しみ、目を忍ばせた時だった。
 もっとも流しに居たのは加佐名で、寒い時期の夜中に関わらず行水をしていたのだ。
 加佐名は後ろを向いていたが、行水の訳は菱呂も一目で分かった。彼女の白い体中に散らされた、赤い花に似たうっ血や噛み痕、そして内ももを濡らしていた白いもので判った。菱呂は女を知らないが、自身も男だから――加佐名と夫との間で何が行われたか、何もかも想像がつかない程ではない。
 その母の様が、この伊由古に重なった。
 伊由古の細い体には、歯の跡が痛々しい程に残されていた。真っ赤な血の痣が真っ白な肌へ散りばめられていた。そして、股の間を伝う白いものまで、あの夜の母と同じ。
 何者にも汚されない「霊女さま」の筈なのに。
 ――どうして。なぜ。どうして
 理島は何かを探しているらしく、すぐに戸から外へ出て行った。
 陽光が見えたか見えなかったかの間に、戸は外から強く閉められた。
 菱呂は分厚い白い衣の下に、びっしょりと汗をかいていた。
「やめよう、いけない、だからどうしたっていうんだ。やめだ、やめだ、だめだ」
 全てを無かったことにしたくて、考えたくなくて、呟きをまじないのつもりで繰り返した。
 しかし廊下の伊由古は、何かを落とすような足取りで居室に入って来る。菱呂はたじろぎ、床に足を取られ、仰向けに引っくり返る。
 伊由古は布を引きずりながら、菱呂の前に膝を突いた。
「あー……」
 小さな声と力が、彼の衣を引っ張った。長い袖からのぞく指が衣の裾を絡めている。開き切らない瞼の奥、目線は確実に菱呂を捉えている。
 彼女は身を乗り出し、ゆっくりと腕を伸ばし、菱呂の顔を隠す頭衣をめくろうとした。
 体が近付くと、肌を吸った痣が光り、体に染みた男のものがつんと匂う。
 その生臭さで、菱呂は我に返った。
「い、いけません! これは、僕の目は……」
 菱呂は慌て、垂れた頭衣を両手で抑えた。しかし伊由古はますます彼に近付き、手に手を重ねてくる。骨に皮が乗った程度の筋ばった冷たい手が、鍛えた指や爪を撫でる。
 居室は静けさに包まれていた。小鳥のさえずりや風の鳴く音も、この屋敷のどこかで行われているだろう祭事の音も聞こえない。
 病的に細くて薄い髪が、尻を突いた菱呂の膝に触れる。うっすら頬にかかる彼女の息も、細い。伊由古はただ、細い。細いだけなのに、間近に迫った伊由古は端正で美しい。
 何かに圧倒されて動けないでいる菱呂の顔に、伊由古はますます寄った。
 そして唇に唇が重ねられようとした。
「……っ!」
 二人の息と息が混ざった刹那で、菱呂は飛び退いた。
 ――な、な……なんだ……!
 菱呂は己の唇に指を当てた。伊由古の唇は、確かに絶対に触れてはいない。
 しかし寸前だった。偶然ではない。口付けの他に何もなしようがない体勢だった。