伊由古は急に、唇を閉じた。
両手でおもむろに、菱呂の指の根元をぎこちなく支えて、指の先を舐め始めた。
とがらせた舌の先で、指と爪の隙間をなぞった。その次は爪を舌の表と裏で転がす。手の甲を大事そうに握り、指先をきゅうきゅう吸っていく。更に指を根元まで咥えてしゃぶり出す。
「わわっ、ちょっと……」
好きなようにさせていた菱呂も、指が口の至る所に当たってさすがに狼狽した。伊由古は頭を前後させ、根元から指先を繰り返し舐め続ける。舌は上に下に、指を包んで動き続ける。濡れた唇が肌をしごく。妙に素早く、手慣れた動きだった。
――どうして、こんなことを? 何も知らないのに……
何も知らない筈の伊由古が知っているものは、痛みと、もう一つ――
「っや……やめて! やめるんだ!」
菱呂は恐ろしい事実に気づき、伊由古を引きはがした。
唾液で濡れそぼった指は、指先から根元まで丁寧にしつこく舐めつくされている。
女はまだ知らなくとも、自身も男だから、何も想像がつかない程ではない。
今、これは指だったけれど。
白い小屋で彼女が咥えさせられていたものは、きっと……
伊由古は唇を濡らしたたまま、何事も無かったかのように座っている。
十六になって言葉すら知らない少女が、男を悦ばせる術だけは仕込まれている。
「伊由古、どうして!」
悔しくてどうしようもなくなって、菱呂は拳を宙に振り上げた。その時、
「うっ……」
伊由古が身を縮め、両手で頭を覆った。
いつでも半分眠ったような瞼をぎゅっとつぶり、細い髪をでたらめに指へ絡めていた。
菱呂はすぐに伊由古の手を自分の手で包み込んだ。
「ごめん、ごめんよ。違う。僕は伊由古を、殴らないから……!」
生きているから、痛みは知っている。
伊由古はきっとその痛みを使われて、奴隷の業だけを教えられてきた。
従わなければ罰だ。殴られたのだろう、叩かれたのだろう。
「なにが……なにが、霊女なんだ」
菱呂は泣きかけていたが、必死でこらえた。
もう伊由古の生きる道に悲しみは要らない。
死なせない――違う。生きる。
「伊由古、立とう!」
まだ怯えを残している伊由古の肩を抱いて外まで歩かせた。辺りはもう日が落ちかけ、うす暗い夕闇が立ちこめている。木々の葉の色は緑ではなく、一様に灰色っぽい。
その葉を引っ張って、伊由古の手に乗せた。
「これが、葉っぱ。こっちが枝。根元にあるのが、幹」
一つ一つ唱えながら、触れさせていった。木も枝も葉も。石、土、草、花、露も。
菱呂はまた、すぐ脇に流れている清水へ導いた。伊由古は水を怖がるそうだが、今は暗いから平気だろう。幸いにして清水の際にしゃがんでも平気な様子だった。
「これが、水。正しくは川なんだけど、とにかく、水。触ったことはあるよね」
伊由古は少しの間、水に指を浸していた。次にはその指を、自分の唇に持っていく。
それからきょろきょろと辺りを見回し、勝手に歩き出した。
「どうしたの」
後を追いながらも、菱呂はあえて構わずにいた。
少しして清水の脇の何と言う事はない場所で、伊由古は止まった。
おもむろに長い上衣の裾をまくり上げ、袴を結ぶ紐に手をかけた。
菱呂は彼女が袴を降ろし、上衣を横に分けた辺りでハッとした。
「あ、あー……ご、ごご、ごめん! むこう行ってる!」
真っ赤になって、大急ぎて洞穴の入口まで戻り、清水に背を向けて固く耳を塞いだ。
思い起こせば、あの小屋にも便所はあった。位置は居室を出て左だ。
清水はこの洞穴の周囲を至る所に走っているが、さっき伊由古が止まった辺りは、洞穴から出て丁度左だった。「部屋を出て左にある、水のある場所」が彼女にとって「その所」なのだろう。
理島に世話をさせ続けるより、しつけた方が早かったのか。
獣だって仕込めば、家畜小屋や用足しの場所は覚えるという。
――じゃあ、獣ってことじゃないか。