天の仔  第4章 − 4回


「どうしてあたしのとこに来たんだい」
 菱呂は逆に居住まいを正した。
「僕の友の娘が、次の火和湖霊女になったのです。僕は防人で、二人の友の娘は霊女さまで、それは仕方のないことですが、僕は……友を慰める言葉も知らないのです」
「だから、あたしのとこに来たってのか。三十二年前にそれを知った、あたしに」
「はい。斗々富貴さまには、僕の勝手で失礼なお話だとはわかっています」
「でもねぇ。あんたに何を言ってやればいいのかなんて、あたしにゃわかんないよ」
 菱呂の胸の奥の方がぎゅっとすぼみ、茶より熱いものが流れ込んだ気がした。
「あたしだって今じゃもう娘より、後に逝っちまった主人の方で胸が痛いくらいさ。時は皮肉で、有難いもんだ。きっぱり教えてやるけどね、あんたはきっと、なんっにもできない。友が泣き濡れてんのを、じいっと見続けなければなんない。あんたが友で居続ける限りはね」
 斗々富貴はまだ濡れている菱呂の金色の髪を、くしゃくしゃと撫でた。
「でもね、あんたの友人は御山に恵みを頂いた。あんたが友で居てやるんだからね」
 そして水色の瞳を見つめ、優しく微笑んだ。
「菱呂。あんたは、いい子だ」
 斗々富貴はアクを抜いたわらびを切りに、再び土間へ降りた。
 菱呂はやはり気のせいではない熱いものを胸に感じ、息が苦しかった。
 こんなものは味わったことがない。
 雨で悪い病に当たってしまったのだろうか。
 やがてあつものが、鍋から椀に注がれた。薄く色のついた汁に、くたっとしたわらびが浮かんでいる。その色の感じや、椀を手にした熱さで、菱呂は或る予想がつく。
「いただきます」
 丁寧に礼をしてから汁を飲み、箸でわらびを一本つまんだ。
 やはり、まずくはないが美味しくもなかった。
 自身も幾度となく台所に立っているから分かる。自惚れではないが、父に蹴飛ばされたことは無い腕前だ。
 ――この人のご主人が食いしんぼうだったのは、たくさん作らせれば妻の腕が上がると考えたからだろう。または食べ応えがなかったのかもしれない。でもご主人はきっと一度も文句を言わずに、だからこの人の腕は上がっていないわけで……
「味はどうだい」
「はい、美味しいです」
 それでも菱呂は、本当に美味しいと感じられた。
「良かったよ。ようやくあんたの雨が上がった」
 菱呂は汁を一滴も残さずたいらげ、斗々富貴も上機嫌だった。
 お椀が空になって初めて、菱呂はそれが上等なものだったと気が付いた。箸も椀も客用だろうが、里人が里人をもてなすにしては塗りや細工が凝っている。
「失礼……ですが、ずいぶん良いお椀ですね。食器がお好きなのですか」
「それは頂きもんだよ。箸もね。うちのもんは大概、祭事家からの頂きもんさ」
 家の内装は確かに、彼女一人で暮らすには質の良いものが多い。床の敷物も暖かいし、卓は年期こそ入っているが、色の良い木で作られている。
 少し目を転じれば、土間には袋がどっさり積まれている。米や麦が詰まっているのだ。
「霊女の生母には手厚い祝儀があるのさ。今でも月が一巡りすれば、何かを届けてくれる。お陰で老けこんで畑に出る元気がなくたって、まっとうに食べられてるよ」
 米や菓子まで入っているのを見て、菱呂は山菜など余計なものかと委縮したが、
「まっ、わらびなんて良いものはくれないけどね」
 斗々富貴はそんな沈黙もお見通しだった。
 やはりこの方にこそ尋ねたいと、菱呂の気がはやった。
「あの、度々の失礼は承知ですが……お伺いしても宜しいでしょうか」
「いまさら失礼なんてあるのかい」
「いえっ……。斗々富貴さんは、今の霊女さまの母上とお会いしたことはありますか」
「ないね。あたしに限らず、祭事家の他は誰も会ったことがない筈だよ」
 菱呂が驚きで目を見開くと、斗々富貴は「あんた本当に、防人というか、この里の子なのかい」と呆れすらした。
「今の霊女の母親は、夜の内にここいらへ流れついたんだってね。熱と傷がひどくて祭事家でかくまって看病してやったけど、長くはなかったと。身ごもっていたから、その娘が今の霊女さまになったんだ。葬儀だけは公にやったけど、傷を晒すのが憐れだからって、亡骸はもう埋葬の袋に入ってたんだよ。それこそ祭事家の家長か三役くらいしか姿は見てないそうだ」