天の仔  第6章 − 4回


「父さん、お酒です。どうぞ」
 夕食を終えると、菱呂は酒入れのひょうたんと二つの杯を卓に運んだ。
 加佐名はさすがに弱っており、もう床についている。
「なんで杯が二つあんだよ」
「僕にもたまには、一杯くらい下さい」
「あ? ああ……まあ、たまにゃあ構わねえが。めずらしいな、お前がよ」
 酒は自分だけで独占したい父も、不機嫌はのぞかせなかった。
 菱呂はそれだけ滅多に酒を飲まない。髪を切った時と今年の春を迎えた時の、まだ二回だ。
 髪を切った時は、意地悪な里人が虎も眠る強い酒を勧めたが、菱呂は盃を三杯も飲み干してけろりとしていた。それを里の者ではない母と、酒しか飲まない父の血筋だと揶揄されたから、酒を好まなくなった。
「父さんは、おいくつでしたっけ」
「あ? 四十三だ。それがどうした」
「四十三年、この里はどうでしたか」
「ああ? どうもこうもしねえよ、わしゃんちってだけだ」
 父は菱呂から次の一杯を受けると、一口であおって勢いをつけた。
「んな肴にもなんねえ話よりよ、おめぇは浮いた話の一つでもねえのか」
「あはは、僕は無理です。父さんとは違いますから」
「だろうよなぁ。孫なんざいらねぇけどよ、見石の野郎に先越されちまったんは悔しいさね。あっこの摩耶女だけは口きいてくれたのになぁ。お前、独り身なんて恥ずかしいからよせよ。娼婦でも何でも口説け。その面が気にいる女なら、いる。間違いねえ」
「はい、はい、わかりました」
 空の杯で頬をつつかれながら、菱呂はおかしくてたまらなかった。この父でも、少しは体面を気にしていたりするのだと知った。
 父はもう片方の手で菱呂の杯を奪い、それも一息で飲み干した。
「するってえと、この家はせめえな。わしと加佐名と、お前とお前の嫁と子供と……たまんねえな、こりゃ。お前がいなけりゃ畑も耕せねえし、どうすっかなー……」
 菱呂の頬を弄んでいた杯が卓に落ちた。
父はひじを滑らせ、背を丸めてしまった。
「父さん、風邪をひきます。とーうさんっ」
 返事は早速のいびきだ。菱呂は父を床へ横たえると、自分の布団をかけてやる。
「大丈夫ですよ、父さん。この家は、ちゃんと父さんと母上のものです」
 そう。父と加佐名の間に子が生まれ、家を継げば良い。
「僕は、この家の者ではありません」
 菱呂は杯を片付けると、静かに部屋へ戻った。

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