天の仔  第13章 − 7回


 痛む傷口に一陀羅の言葉が沁みて、菱呂の頭をひっきりなしに回り始めた。見石もまた返す言葉を失い、脂汗を浮かべるだけだ。
 生きていく、伊由古を生かす。
 それだけを考えれば一陀羅の話が最も理に適っている。
 菱呂の額を熱くもないのに汗が伝った。
 こうして汗をかきながら畑を耕した夏、寒い筈なのに山を歩き回って汗をかいた冬、いつだって楽ではなかったけれど。
 今、確かに生きようとすることは、こんなに難しい。
 全く動けなくなった若者達を一瞥し、一陀羅が頷く。
「よし、よし。分かってくれたね、嬉しいことだ。では得物をしまおうではないか」
 しかし突然、彼は大きく右手を振り上げた。
 菱呂が動きを止めた隙を狙っていたのだろう。
 一陀羅が勢いよく手を下ろしたのと同時に、岩影から矢をつがえた三人の男が現れた。
 矢の先端には石のやじりではなく、丸めた布に火をつけたものが刺さっていた。
「放てぇ!」
 男達は一斉に、燃える矢を菱呂へ放った。菱呂と見石は互いの名を呼び、声をかけあい、棒で矢をはじく。
 見石は二本、たたき落とした。菱呂は一本、はねのけた。
 しかし四本目はどちらも捕らえられなかった。
「きゃあああああっ」
 理島が叫んだ。
 菱呂達が振り向くと、理島を繋いだかごの天井に四本目の矢が刺さっている。木と編んだ草でできたかごは、見る間に燃えていく。
「知りすぎたのだよおまえ達は」
 一陀羅は大笑いしながら火和湖を出ていく。菱呂達は追いかけるどころではない。
「鎖は俺に任せろ! お前らはかごだ、壊せ!」
 見石はほとんど怒鳴りつけ、鎖に手をかけた。彼は里で有数の力自慢でもある。菱呂も八右智も棒を手に取り、粘土の壁を渾身の力で打った。
 一、二、三打目だった。
 どごっと音が鳴り、鎖を覆っていた固い粘土が大きく砕けた。
 反動で、理島は仰向けに転がった。
 八右智がすぐに抱きかかえ、かごから引き離す。
 理島を助けられた。
 まずそれだけに安心し、菱呂と見石が小さな笑みを交わした時。
 彼等の足下に、何かが触れた。
 地面を向くと、何かの液体が流れていた。近くにいくつも壷が転がっていて、そこからこぼれたものだ。
 液体は水ではない。もっと粘り気がある。それはいつしか、座り込んだ伊由古の下衣をじっとりと濡らしている。真っ白の衣に染みた液体は、わずかに黄色い。
「油だ……っ」
 気づいた途端、菱呂の体が動いていた。伊由古の手をとにかく握り、腕、肩、と自分の方へ確かに引き寄せた。彼女の体が普段より重いと分かる程、すでにかなり油が染み込んでいた。
 見石と肩を並べて走り出してから、ほんの少し後。
 油がかごに到達した。
 風がふくらむような音を立て、一気にかごが燃え上がった。
 かごから十数歩も離れた場所にいるのに、菱呂の肌が熱くなった。かごを挟んで向かい側に逃げた八右智と理島も、互いに体を寄せて呆然としている。
 すぐにかごが崩れ始め、火がかごの底から一層大きく湧き上がった。誰もかれも火に照らされ、体がほの赤く染まる。