「許せ、菱呂……」
見石は人目もはばからず、大粒の玉の涙をこぼしていた。
大柄な体が波となって震え、人の良い顔が真っ赤になっていく。
「お前ら、もう止めろ!」
彼は弓を持った最後の一人を打った。そして菱呂の隣に、かばうように立ちはだかる。
それも体の痛んでいる菱呂より足はおぼつかなく、杖を支えにやっとの状態だった。
「言われたんだ、お前を殺せば……娘を返すと。親子三人で里を出れば良い……と。馬鹿だな、そんな真似をしたら摩耶女が何て言ったか」
見石は一度、目をふせた。
しかしすぐ、怯えをはらませながらも、決して逃げないように菱呂へしっかりと目を合わせた。
「あまつさえ、お前が摩耶女と……。そんな出鱈目まで囁かれ、おかしくなっていたんだ。そんなざれごとを信じてしまったのも、菱呂……俺がお前をずっと妬んでいたからだ。ああ、そうだ……俺はお前が怖かったんだ。何をしてもお前に勝てないのも、お前が完璧なことも。それが怖くて怖くて、だから……」
大きな体を震わせ、涙を流しながらも、見石は菱呂から目をそらさなかった。
「全て俺の小ささが起こしたことだ。菱呂、すまない……!」
菱呂は友の泣く姿に、また一つ、確信を深めていた。
――僕というトゲは、里だけでなく君まで傷つけ続けていたんだね……
「見石こそ、僕を許してくれるの」
「お前、なに言ってるんだ。俺がお前をなんて思って何をしたか聞いただろうっ?」
「それでも今まで僕と口をきいてくれた男は、見石だけだったじゃないか」
「このっ……お人好しめが!」
見石は菱呂の髪を乱暴に、もうめちゃくちゃにかきまわした。
「いっ、いたいいたいよ!」
菱呂が傷口の空いた額を抑えると、見石も慌てて手を離した。
見石は友の血がついた手のひらを固く握り締め、涙を拭い、まだ赤い目で男達をきっと睨み据えた。
「あいつらも俺と同じクチだ。一陀羅は人に言えないことをやらかした、居心地の悪い奴を家人にして、従わせていたんだ」
その男達のある者はうずくまり、打たれた場所をさすっている。ある者は膝を突いて虚空を見上げている。もう戦意は失っている。
しかし一陀羅は不遜に構えたまま、大きく溜息をついた。
「やれやれ。君達二人がそこまで野蛮だったとは、見損なったよ」
「なんだと!」
「だって君達は、殺し合いがしたいのだろう?」
もう一度、見石が飛び出しかけた。一陀羅は両の手のひらを地に向けて押すようにし、高みから二人をなだめる仕草をする。
「ようし、よし。わたしも君達も人だ、早とちりも誤解もある。少し話そうではないか。――君達、邪魔なわたしを殺したいのだろう?」
「野蛮なのはどっちだ! わざわざお前など殺さなくとも、捕えれば良い事だ!」
「ほう。ではわたしが罪人として、家人や里人にどう説明する? 罪が何であるかを……説けるかね、菱呂くん。君が尚も口を割らないで居る『その事』を、『理島』も『先代霊女の母』も居る里で、祭事家の行いを説くのか? 見たくないものを突き付けられ、要らない傷を負う者は、一人では済まんよ?」
見石は菱呂を見やったが、菱呂は小さく首を振るしかない。
「では口裏を合わせ、老いぼれが足を滑らせて御山に消えた事にするかね? 断っておくが、まだ若いその身で、人殺しの罪を一生背負うのは辛いことだよ。大体、人の口に戸を立てるとは実に難しい。……十六年前、愚息の為に妻と私とで嘘に嘘を重ねたあれは、実に辛かった。それだって結局こうして暴かれたわけだ」
一陀羅は急に眼を見開き、手を打ち鳴らした。
「そこでだ! どうせ謀るなら、皆の背負うものを最も軽くしようではないか! 菱呂くん、君は霊女さまと里の外に出ることを許そう。見石くんには娘を返そう。なに、妻君とて分かってくれるとも。君達は里の外で一切を忘れさえすれば良いのだ」
彼は男達から菱呂と見石まで順ぐりに指さし、この場に満開の拍手を送った。
「うむ、素晴らしいではないか! 皆がほんの少しの秘密を守りさえすれば、晴々と幸せになれるのだ。この空のように、君の瞳の色のように――ね」
己の瞳に一陀羅を映しているという事実に一気に寒気がし、菱呂は叫んだ。
「そんなもの、また新しい娘が霊女になるだけじゃないか!」
「うん? 君は、祀りが終わるとでも思っているのか」
一陀羅はわざとらしく呆れ顔を浮かべ、両腕を組んで斜に構えた。
「わたしを罪人にしたところで、霊女さまと湖霊さまの関係は途切れまい。今回はたまたま『不届き者』が存在したというだけだ。……三百年とは、そこまで軽くないぞ」
「だったら、里を出れば済むことだ」
「やれやれ、里人の全てが何処にどう移るというのだ。水と畑に余裕のある集落に君が導いてやれるのか。それが出来るならば御山がお怒りになった後も、なぜ我々は里にいる」
「さ、三百年前と今は、違うかもしれないじゃないか」
「同じかもしれないではないか」