何を知ったからといって、己に出来ることはない。
だから菱呂は相変わらず、昨日と全く同じく、祭事家へ赴いた。
今朝、案内してくれた家人は、初老の女性だった。彼女は前を行きながら菱呂を盗み見てくるが、髪や目に関心がある視線ではない。
「あ……の、どうかされましたか」
菱呂は耐え切れなくなり、祭場から回廊に移った所で話しかけた。
「いやっ、ちょっと……さ、あんた、いえいえ防人さまに聞きたくってね」
とても無理をした雰囲気の敬称を混ぜ、彼女は声を潜ませた。
「侍女がいるだろ、理島って言ったっけ……あれ、どんな女なんだい」
菱呂は思わず「は?」と、気の抜けた返事をした。
「僕より、同じ家人のあなた様の方が、よほどお知り合いではないのですか」
「あの女、三役の間の向こうにしか居ないだろ。侍女だから部屋もそっちでさ。あたしがここに上がらせて頂いてから、もう二十年経つけど、ろくに喋ったこともないよ」
「二十年もだなんて、大袈裟では」
「とんでもないよ。――ちょっと、あんた!」
彼女は次の廊下で見つけた、盆を持った中年女性を引き留めた。
「あんたも気にしてただろ、侍女。口きいたことあるかい」
「さあ……めったにお姿も見ませんもの」
「だよねぇ、愛想悪いよね。一陀羅さまの亡くなられた奥方が、縁故で連れ来たってのにね。侍女になるためにだよ。そん時も気が付いたら居たって感じでねぇ」
「でもあの方、お裁縫が得意じゃないですか。たまにお見かけする時のお召し物、全て白いものですから、ご自分で用意されてるのでしょう。それって多分、昔は――」
話の雲行きが怪しくなってきたので、菱呂は三役の間に行くよう、足早に促した。
しかし実は菱呂も、理島のことは気になっていたのだ。昨日、伊由古のあんな姿を見てしまったからだ。あの行為に目をつぶるとは、一体どういった人物なのだろうと。
「理島さんはお宅は住み込みですか。今まで里で、お見かけしたことがありませんので」
控えの間で白い衣を身に付けながら、菱呂は理島に尋ねてみた。
「わたくしはこちらに住み込みでございます。昼夜を問わずに伊由古さまのお世話するお役目ですので、ここの廊下を少し進んだ所に部屋がございます」
「いつからですか。やっぱり伊由古さまがいらっしゃった時からですか」
「お生まれになった時からです。霊女さまが十六になるまでの時を添うのは、ぬるい覚悟では務まりません。恩のある祭事家のため、自ら志願したのでございます」
「恩義……ですか」
「拾っていただいたのです」
彼女は、菱呂にいつも向けるそれとは明らかに違った、強張った顔をした。
「わたくしは娼婦でございました」
その一言はいかなる続きも遮った。
当たり前のように口を閉ざすしかない菱呂は、霊女の居室に入った。