見石は幾つもの川を下った。
雨で増水し、風で波が立った時も。じりりと陽が焼きつけ、雪で川すら凍った日も。御山から繋がるだろう川という川は、全て渡り歩いた。
谷に沈んだ菱呂を、何に代えても見つけ出したかった。
あいつが死んだ筈はない。願いではなく、確信として在る。
だからこそ一日でも早く再会し、伝えられなかった言葉の全てで謝りたかった。
山に慣れている菱呂なら、きっと水源の近くにいる。探すなら川沿いしか頭にない。
しかし御山から川が流れる先は、どこまで行っても森が深い。集落など影も形もない。
家を守る都合も畑もある中、ままならない月日は二度目の秋を迎えていた。
今日も見石は山に入っていた。右側には、もう何本目になるだろう、川が流れている。
この辺りの土は里と比べて粘り気が強く、足が沈む重さがある。緑は濃く、白っぽい木肌も苔むしている。川の更に右側はなだらかな斜面になり、所々に洞穴がある。
彼は細い川を渡り、洞穴を一つずつ覗きこんでいった。四つ目の洞穴は特に奥深かった。
すると洞穴の奥から非常に俊敏な足音が鳴った。
「誰だ!」
威嚇した刹那、見石が構えた棒は、飛びかかって来た者の棒に真上から叩かれた。
洞穴は暗く、互いの顔形までは見えなかった。更に相手は被り物をしている。棒を交えた一瞬、まさか菱呂かと、見石の全身は大きな希望にざわついた。
しかし相手の棒を弾き返した次の一瞬に、泡い期待は儚く散っていった。
菱呂と間合いが違う。
相手は手脚が長く、棒を回す際の弧が大きい。叩かれた時の高さも随分なものだ。この敵は菱呂と比べて、頭一個以上はゆうに背が高い。
「ヤアアアアア!」
見石は力任せに棒の先端をぶち当て、一気に押し切ろうとした。
しかし相手の胴を捉えた筈が、棒は虚空を切っていた。
敵は圧倒的な柔軟さで、素早く下に身をかがめていた。釣り竿を引き上げる動作で、下から上へ大きな円を描きながら、頭上にある見石の棒を弾き返した。
棒が離れた見石の手に、代わりに懐かしさが溢れた。
里では他の男には勝てても、素早くやわらかい菱呂には敵わなかった。
だからいつも最後は力押しになってしまい、見切ってかわした目の良い菱呂に、棒を叩き上げられていた。
今、全く同じ動きをされた。
「ま、待ってく――俺、だ! 見石だ!」
叫んだ時にはもう、見石は地に叩き付けられていた。
しかし相手もそれっきり、立ちすくんだまま動かない。
相手は被り物の口元を下げて叫んだ。
「見石なのっ?」
しかし見石は己の名を呼んだ声に、耳を疑った。
そしてようやく、自分が彼を友と――菱呂だと気付かなかった理由を得た。
「ご、ごめんよ。僕、頭にこんなものかぶっていたから、君だとわからなくって」
見石の耳へ次々と入っていく菱呂の言葉は懐かしくて、声にはちっとも聞き覚えがなかった。
「まったく、相変わらずのお人好しめ」
見石は跳ね起き、菱呂を洞穴の外へ引っ張った。晴れた陽が二人に降り注ぐ。
一年半ぶりに再会した菱呂を、かつてと全く変わらぬまぶしさで照らし出している。
「お前がこんなにでかくなってたんじゃあ、俺だってわからんさ」
それは、菱呂だった。稲穂に弾ける日の髪と、水に輝く空の瞳だった。
更に背が高くなっていた。
肩も大きくなり、首も太い。喉仏も膨らみ、小鳥のように高かった声はすっかり低くなっている。元からすらりとした手脚は、更に長い。少し大きかった衣も、手首が完全に見えてしまうほど寸足らずになっている。
かつて少女に見紛った少年は今、立派な青年に成長していた。
「僕、そんなに大きくなったの」
「お前その衣、おかしいと思わないのか。声だって別人みたいに低いんだぞ」
「衣は擦り切れたのかと……声なんて気にもしないし、見石はちっとも変ってないしさ」
「俺はもう大きくなどならないんだ!」
つい言い返した後で、見石は改めて菱呂を見つめた。
男であっても見惚れる、こもれびを思わせる美青年だった。
「思い出した、お前の母上だ。あのひとに今のお前は、とてもよく似てる。前はそんなこと思わなかったんだが……きっとお前の歳が、母上に近づいたからだな」
見石は自分達が立つ大地を指差した。
「ほら。俺達、互いに平らな場所に立っていて……目の高さが、ほとんど一緒じゃないか」
菱呂は下を向き、再び見石を見て、初めて「あっ」と声を上げた。
見石は「相変わらずだな」と息をついた。
いつしかどちらともなく微笑み、涙を浮かべ、懐かしい友二人は固く抱き合った。
「すまなかった……何もできなかった俺を許してくれ、菱呂」
「ありがとう、見石。……ありがとう」
「この、お人好しめが!」
見石は友の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。その頭の高さも、腕に抱いた体の厚さもかつての時とはまるで別人である。
それでも菱呂が菱呂であったことを、彼の中に棲む天に感謝した。
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