天の仔  第2章 − 4回


 三人から向けられる戸惑いから逃れるよう、菱呂は胸の前で手を合わせた。
「ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。もう平気です」
「菱呂くん、待ちなさい。君は弱っている。もう少し休んでいった方がいい」
「大丈夫です、ただの食当たりです。畑の世話を空けるわけにもいきませんから」
「畑なんざ……たまにはお前の親父が出りゃあいいんだ」
 見石は声を荒げて友に凄んだ。
「あんな足が何だってんだ。あの親父は何年、畑に出てない? 立てないわけでもない、足引きずってくわ持って振り下ろして、葉を摘むくらい出来るだろう!」
「見石、やめて!」
 菱呂は見石にすがりついた。八右智が居たたまれず、申し訳なさそうな顔をしたのが見えたからだ。
 今ここでこんな話をしても、何にもならない。
 やがて菱呂は見石に支えられながら屋敷を後にした。
 日は高くなっており、今は里人も昼休みの頃で、木立を抜けた畑からも物音が少ない。
「食当たりって言ってたな。お前の親父や母上は、平気なのか」
 畑の合間の道で、見石が切り出した。彼の言わんとしていることが分かり、菱呂も逡巡する。
 もちろん食当たりなど嘘だが、そんなことを追及されているのではない。
「……僕は昨日の夜、父さん達とは違うものを食べたから」
「ならば何故、俺の家に来なかった」
「君の家は今、僕どころじゃないでしょう。僕だって食い扶持くらい稼げるさ」
「他人に食い扶持を世話させてる奴に、自分の食い扶持を奪われてもか」
「他人じゃないよ。僕の父さんと母上だ」
「だったら俺はお前の友だ。どうして俺を頼らなかったんだ!」
 これ以上この話を続けると、見石が怒って手が付けられなくなる。
 菱呂はあえて、そして最も誰かに尋ねたかったことをぶつけた。
「ねえ、見石。もしかしたら君が防人になっていたかもしれないよね。君はその心構えとして、霊女さまが湖霊さまに嫁がれるって、どういうことか知っていた?」
「嫁がれるために、一生涯を純潔で通しているのだろう? だから霊女さまは、里人の前には姿を現さない。祀りの終わりに、湖に身を投げられるんだ」
「知っていたのっ」
「ああ、父が教え……そうか。お前はそんな話も聞いていないんだな」
 菱呂は摩耶女をうかがったが、彼女も同じ顔色で頷くだけだった。
「見石は……そ、その。驚かなかったの? 湖に、身を投げるって」
「初めて聞いた、幼い時はな。だが霊女さまは、湖霊さまの嫁君だ。人ではないんだ。楽しいとか苦しいとか、俺達が死ぬのと同じわけはないだろう。違うのか」
「ううん……間違ってない。霊女さまは、その通りの方だよ」
 口にしながら、菱呂は恥ずかしくなっていた。おかしな気分で居たのは、自分だけだった。里に生きていれば、霊女の有り様は誰もが知っていたのだ。
 あの少女は死を恐れないだろう。死というものを知らない。
 湖に身を投げるという意味を、その場に直面したって分からないだろう。
 ならば、仕方のないことだ。苦しまずに済むのなら、それで良いのではないか。
 もの思いに更けている間に、見石は笑みを取り戻していた。
「なあ、防人なら霊女さまにお会いできるよな。どうだ、どんな方なんだ」
「その、みだりに明かしてはいけないから」
「だろうな。でも良いじゃないか、俺とお前の仲だ。なあ」
「あなた、菱呂くんまでおふざけに巻き込まないの。防人の菱呂くんに無理を言えば、湖霊さまがお怒りになって、あなたの頭から雷をピシャリとなさるわよ」
 摩耶女は怒ったふりをしてみせてから、菱呂へうんと笑みを広げた。
「菱呂くんは美しい子だもの、道を外れるような真似などしないわよね」
 男なのに美しいと褒められてしまい、菱呂は頬を染める。それがまた少女のよう、いや少女より様になるから、摩耶女はますます熱をこめる。
「うふふ、いつ見ても同じなのね。あなたのお母さまみたい」
 摩耶女に指でひたいをこづかれ、菱呂はますます赤くなるしかない。
 実際、摩耶女は事あるごとにこんな調子だ。