「……危ない!」
八右智が叫び、とっさに菱呂も身をかがめた。
背中の方から飛んできた石ころが、かごに突き刺さった。
振り向くと、火和湖を包む岩と岩の間に見石が立っていた。
「見石、どうして」
立ち上がる前に、菱呂は伊由古の肩を叩いた。
眠っていたのか目を閉じていただけかもわからないが、彼女はまぶたを半分まで開く。
「伊由古、おきて。少し危ないかもしれないから」
「……いぅこ」
伊由古は長い衣をひきずり、のろのろと足を動かして立ち上がった。砂利の地面は慣れていないのか、足元が落ち着かずに何度もたたらを踏んでいた。
初めて知る霊女の様子に、見石は明らかに呆気に取られていた。
「これが、霊女ということなんだよ。見石。空の色すら知らないんだよ」
友の気持ちが動いたことを感じ、菱呂も語りかけた。
「伊由古を救いたい。力を貸してほしいんだ。君もいるなら、もうなんだって怖くない」
しかし見石の手には、棒が握られるだけだった。
「ならば俺は娘を、取り戻したいだけだ!」
見石の繰り出す棒は、普段よりはるかに重かった。筋は乱れてめちゃくちゃだが、元の体も大きく力持ちだから、十分な一撃になっていた。
見石は本気だ。
菱呂もまた伊由古の手をつないでいるから、片手でしか受け止められない。見石はきっと伊由古を傷付けはしなくても、菱呂の気持ちとして手放してしまうのが心細い。
振り下ろされる棒をただいなす、という時間が過ぎていった。防戦一方で、菱呂の右肩も徐々にしびれてくる。体が後ろへ押されていく。
突然、伊由古が菱呂をひっぱった。
「うわっ……」
菱呂は砂利に尻もちをついた。繰り出された棒を間一髪よけた。見石の棒の先は手加減なく、菱呂の顔の真横の砂利に突き刺さっている。
「……っあ!」、左手に伊由古の感触がなくなったことに気づき、菱呂は慌てて後ろを向いた。
すると八右智が伊由古を引き寄せ、抱き止めていた。
「見石君。君は、菱呂君を片づければ『娘を帰してやる』と『約束』されたのだろう」
見石は何かにぶつかったように体を震わせた。頬が大きくふくらんだが、言葉が出てこない。八右智は「やはりな」とつぶやき、地面に転がっていた小刀を拾う。
「大丈夫だ、菱呂君。君が消えて、伊由古が里に戻っても、伊由古が今より汚されない方法はある。それは娘を取り戻したいという見石君の望みを叶えることにもなる。何一つ安全とも言い切れない逃亡など選ぶより、はるかに確実だ」
彼のまなざしは、理島の髪で隠した顔をとらえている。
「傷を負い、美しさの無くなった伊由古なら、見向きもされまい」
嘘のように落ち着き払った八右智は、小刀の切っ先を素早く伊由古へ向けた。
伊由古の顔を傷つけようとしている――悟った菱呂は動こうとしたが、倒れたまま砂利に足を捉われ、思った通りには動けなかった。
しかし、ガキンっと強い音が鳴り、小刀が宙を舞った。
間もなく、地面に落ちた。
見石の棒が小刀を跳ね飛ばしていた。
彼は下を向いたまま、誰とも目を合わさなかった。
菱呂はどうしてか、不思議なほどやさしいものを味わっていた。
そしてまた火和湖に、新たな者達が現れた。一つ二つ、合わせて十の人間。彼等は一斉に矢をつがえ、菱呂達と距離を取っている。
男達の中心には一陀羅がいる。
見石は頭を下げたまま菱呂達に背を向けた。
「……っ見石!」
見石は止めるような呼ぶような菱呂の声に応じず、男達の列の端に加わった。
そして一陀羅の品よく見えるたたずまいに、菱呂はたまらなくぞっとした。
「一陀羅さん。……あなた、だったんですね」
「何がだね、菱呂くん」
一陀羅はにこやかに微笑んだ。