斗々富貴は「そうそう」と土間に降りた。贈り物の入った袋から、膝に乗るほどの布を引っ張りだした。刺繍が施されており、それは随分な高級品を意味する。
「あんたも防人なら、逆になんか知らないかい。この布さ」
「はあ……なんというか、すごく丁寧だけど妙な刺繍ですね」
菱呂は刺繍の布を受け取った。
妙というのは色だった。
柄は何処かの庭を縫い取ったものだが、冬景色だろうか一面が白っぽい。薄茶色の壁が周りを囲み、空も雪空らしくて白い。土は薄灰色の石だ。中央に一本の木が生えており、枝ぶりは梅だし花も白いが、木の色が妙に薄い。麦の穂よりも薄い。また空が雪模様なのに、雪が積もっていない庭も妙だ。
丁寧というのは、その妙さが分かるくらい刺繍が上手く作られていることだ。
「もう十二年前だったか、米袋の底に折り畳んで入ってたんだ。あたしゃ間違いかと思って荷物を運んだ人に聞いたら、知らないっていうし。それとも祭事家ってのは、こんなちゃんとしたものを袋の底に敷けちまう趣味があるのかい」
「いえ、さすがにそれは」
屋敷の何処にも過度な装飾は無かった。位に見合った生活は送っているらしいが、贅沢な家ではない。こんな刺繍細工がかかっていた覚えもない。
「しかも何枚か続いたんだよ、一年おきくらいにね。いっつもなんかの袋の底でさ」
彼女は別の袋から、残り六枚の刺繍細工を持って来た。一枚目は似た庭で、藤が咲いている。しかし藤と分かるのは形が巧みだからであって、藤の色は真っ白だ。葉も薄い黄色。空はくもり空なのか、また真っ白である。次の一枚はみかんだが、みかんの実は白い。葉は藤と同様、薄黄色だ。木の幹も薄茶色で、空はまたくもりの白。
三枚目、椿の庭の刺繍を見て、菱呂はやっと気が付いた。
――祭事家の庭か?
あの屋敷に通されて霊女の小屋に着くまでは、幾度となく曲がり角を折れ回廊を渡る。刺繍はその、様々な木の植わった庭にそっくりだ。縫い取られた木々も、梅、藤、みかん、栗、柚、桃が一枚ずつ。これは全て祭事家の庭の木々だ。
しかし桃の刺繍をどかし、最後の一枚を目にした瞬間、菱呂はのけぞった。
最後の一枚にはある部屋の風景が縫われていた。中央で床が一段高くなり、左の隅には寝台が置かれている。右の角には背の高い棚があって、部屋は天井も壁も布で覆われている。
――これ、霊女さまの居室じゃないか……!
菱呂が叫びをやっとの思いで抑えていると、斗々富貴が顔をのぞきこんできた。
「どうしたんだい。何か知ってるのかい、これ」
「いっ、いえ……その。ど、どれも白……白っぽいものですから」
「ああ、せっかくとっても上手いのにねぇ。色が褪せたんじゃなくて、最初っからこうだったんだよ。これだけ作っておいて、他の色の糸が足りなかったとも考えられないし」
彼女の言葉が入っては抜け、菱呂の頭の中はただ渦に巻き込まれていた。
――誰が、これを?
問うまでもない。霊女の居室の様子を知っているとなれば、三役しか居ない。
でも霊女の居室の様子を外に知らせては、大きな罰がある。まず湖霊が怒るかもしれない。
――斗々富貴さんが、霊女さまの母君だから?
三役の誰かが、霊女がどんな所でどんな暮らしを送っているかを、暗に伝えようとしたのだろうか。言葉は許されないから、刺繍細工にしたのか。袋の底に、そっと忍ばせて隠して。
「今も、これは……入っているのですか」
「いいや。五年くらい前で終わったね。この七枚で全てさ」
斗々富貴は刺繍細工をまとめると、不安げに首をかしげた。
「でもねぇ。あたしは、これを作った人が少し心配なんだよ。五年くらい前からぱったりなのも、この人になんかあったんじゃないかと思ってね」
「ど、どうしてですか」
「だってこの人、きっと、目が悪いんだよ」
彼女は庭の刺繍細工を示した。
「どこもかしこも白っぽいだろう。実も葉も木も。みかんが成ってるのに、雪ふってるみたいだ。そんな病は知らないけど……色がよく見えないんじゃないかい、この人は」
菱呂の体が、雨に当たる前よりも遥かに冷えた。
――そうだ。これは、僕や斗々富貴さまには、見えない光景なんだ。
もし霊女ならば。
生まれた時からずっと、あの白い部屋から出たことがなく、己の体の色しか知らなければ……実も葉も空の色も、その色に見えないかもしれない。
しかし伊由古だろうと先代だろうと、霊女がこんな刺繍をこなせるわけがない。
それに十二年前、伊由古はまだ四歳だし、先代は既に火和湖へ入っている。