天の仔  第5章 − 11回


「ちょっとは、落ち着いたかい」
 作りたてのあつものを椀に注ぎながら、斗々富貴は背中で話しかけた。
「のどが痛んじまってるだろうからね。あったかいもん、入れないと」
「ありがとうございます。何から何まで、すみません」
 菱呂は卓を前にし、恐縮して頭を下げた。散々汚した服は洗濯して外に干してくれたし、代わりに借りて着ている衣服も彼女のものだ。
「いただきます」
 ゆっくり口をつけると、捉えどころのない味が今は本当に有り難くて美味しかった。
 自然と頬がほころんで、菱呂は汁を一気に飲みほした。
 胸が熱さで開いていく。この家で何度も出会った熱さだ。ゆっくり身を委ねれば、じんじんするのに心地よい。気が昂るのに、とても落ち着いていられる。指先があたたまり、息も強くなる。
「斗々富貴さんは、どうしてここまで僕に色々して下さるんですか」
「あんた、痛んだやつを助けるのに、わけでも要ると思ってんのかい」
 彼女は椀でも片付けながら、まったくさり気なく答えた。
 痛み。
 それが菱呂には、まだ何となく宙に浮いている気がした。確かに痛かったけれど痛いと思ってもいなかったし、知らなかったのだから辛くもなかった。
「あたしはね、湖霊さまを憎んでたんだ」
「え……」
「驚くだろう。まあ、子を失うっていうのはそんなもんさ。でもやっぱりあたしは、里に生まれた里の者。代わりに自分を恨み、自分を憎み、呪って怒って悲しんで……。本当はね、主人が亡くなるずうっと前から、畑になんか出ちゃいないんだよ」
 懐かしく面白い昔話をするようだった。
 これが彼女にとって少しは過去の話で、今はもうそんなには痛んでいないのなら、菱呂は身勝手に安心した。
「すっかり忘れてたけど、あんた、防人さまだったもんねぇ……」
 斗々富貴は微笑みをあたたかいものにして、菱呂の頭にやさしく触れた。
「きっとね、あんたは、ものすっごく痛い思いをする。あんたが務まんのかいって気がするけどね。この里は火和湖のお陰様なんだし、あたしだって最後はそこに帰ってきた」
 彼女は初めて見せる、とても険しい眼差しを向けた。
「でもあんたは、こんな小さな里だけの子じゃない」
 そしてまたすぐに、慈しみの顔になった。分厚い手で菱呂の髪をかき回し、瞼の下あたりの頬を何度も何度も、くちゃくちゃに撫でる。
 金色の髪と水色の瞳が、その言葉に包まれる。
「うん。あんたの髪は日で、瞳は空だ。あんたには天が棲んでる」
 菱呂は風が吹いた気がした。
「あんたは天の子だよ、菱呂」
 斗々富貴は頷いた。
 なんだか大袈裟で、菱呂はむず痒さも通り越して、大人しくしているしかなかった。
 気が付いたら、また涙がこぼれていた。
「あれ……。痛くも辛くもないのに」
「やれやれ、あんたはそんなのも知らないのかい。人は嬉しいことや楽しいことがあっても、泣くもんなんだよ」
 彼女はからから笑い、服の袖で涙を拭ってやった。