すばるは地学室に飛びこみ、扉を固く閉めた。苦しい体はそのままずるずる扉を滑り落ちて床にへたりこんだ。長い髪とセーラー服の後ろ襟が一緒にからまってひしゃげて、上着の後ろが背中にはさまって少しめくれた。運動し慣れてない脚は力なく曲がって、スカートもてんでばらばらに乱れていた。
体中がぐちゃぐちゃにほつれている。
「はあっ、はあ……」
うすくまぶたを開き、長机が二列に並ぶ教室内に目をやった。
左の列、前から三番目が、昨日コトリスがささやかな歓迎会を開いてくれた机だった。
――昨日、なんだ……
丸二十四時間も経っていないのに、遠い昔に思われた。
甘くてピリ辛なジュースの味も、ダンスするお人形も流れ星も、くっきり覚えているのに。
時間をかけてなんとか立ち上がり、昨日の机に触れた。
ジュースの一滴も、ダンスの軌跡の一筋も、机には一切残されていない。
指先を見ると、鉛筆の粉で少し黒くなっていた。黒い机にはうっすらと落書きの跡がある。「おなかすいた」とか、人気のキャラクターを真似した絵とか、他愛もない落書きだ。地学室で授業中の学生のぼやきだ。その跡が指についている。
学校の皆のささいな名残は、宇宙にいたって、すばるの指に色を残したのに。
コトリスのパーティーは、なに一つすばるに引っかかりやしない。
「や……」
すばるの体の底から「やだ」という言葉があふれ出そうとした。
でも言えなかった。
言葉と一緒にもれそうな、形のない何かが、胸をもっと詰まらせていく。
「コ、ト……」
その名前も呼べなかった。
この苦しさの源にコトリスがいることを、今知ってしまった。
自分自身が「何」を「やだ」と思っているのか。
「やだ」という言葉一つ、自分の声を耳で聞いて知ってしまったら、心の中身が照らされていく。
コトリスを怒らせてしまって、心が離れてしまったことですら、こんなに苦しいのに。
声も体も手も瞳も何もかも全てが離れたら、どうなってしまうんだろう。
――いや、いや……コトリス、やだ、離れたくない……!
すばるは鉛筆の粉がついた指先を内側にして拳を握りしめた。落書きの机から離れて目を閉じた。地球のいつもの授業を連想させるものなんて見たくない。
戻りたくない。帰りたくない。
コトリスと一緒にいたい。
このままだとコトリスと笑い合った時間が全て、二度と手に入らないくらい遠ざかっていってしまう気がした。
どれほど目をこらしても届かない、無限遠の彼方へ。
知っているのに、知っていたのに、見えない暗闇の果てへ吸いこまれていく。
「あっ……!」
その時、すばるは声を上げた。
大事なことに気がついた。
このままだと宇宙の闇に吸いこまれてしまうのは、コトリスだ。
宇宙にいたまますばるの身がどうかなってしまったら、誰にもコトリスのことを告げられないままで終わってしまう。そうしたらコトリスは消えてしまう。
すばるは大きく息を吸い、机に背を向けたまま目を開けた。指先を皮が剥けるくらいこすり合わせて、鉛筆の粉をすり消した。
地球に戻ったから二度と会えないなんて決まりきったわけじゃない。ここに来られたのなら、また来る方法だってあるかもしれない。
――わたし、戻らなきゃ。
コトリスを伝えるために。
すばるは息を落ちつけた。
全てをもう一度、きちんと考え始めた。
何よりの目標は地球に戻ることだ。この際、少し知らない場所に行ったって、日本ならなんとかなる。
地学室の風景は何度も変わった。宇宙のポスターを触ったり、プラネタリウム投影機を動かすと、その場所の星空が映ったりした。
「地球、ダメかなぁ」
すばるは地学室の左後ろの地球儀に向かった。変な所へ触れないよう、回転軸の上端をつまんで回して、日本の印刷されている辺りを自分へ向けた。