「ユキ、ユキーっ」
三年一組の教室に、二人の女生徒が走りこんできた。
二人が目ざすのは教室の左後ろで帰り支度をしている、茶色っぽい髪の女生徒だ。
「ユキユキ、なんであんた教えてくんなかったのっ」
「……なんの話よ」
ユキと呼ばれた女生徒はじとっとした目付きで、突然の来訪者をにらんだ。でも表情に嫌なものはない。遊びでわざとキツイ顔をしているのだ。
女生徒は、高校三年生になった伊庭有輝子。
中学生の時から背丈は変わらず、大人っぽくなった体をブレザーに包んでいる。
季節は三月。受験シーズンも終わり、高校卒業を間近に控えている。
のんびりしたムードの教室で、二人の女生徒は驚くほどにぎやかだ。
「さっきユキの名前、ネットで検索してたんだよ」
「また人の名前で勝手なことしてくれるんだから」
「だってユキ、東大合格したじゃん! どっかの塾のサイトで『合格には足りない所はないと思っていました。でも先生達が弱点に気づかせてくれたんです』みたいなキリッて感じでCMに出てんじゃないかって思ってぇ」
「ないない。私、塾には通わなかったわよ」
有輝子が答えれば、女生徒達は「マジで」「やっぱてんさーい」とハイタッチし合った。
それから「違う違う」と言い合い、改めて有輝子にスマートフォンの画面を見せてきた。
「これ、ユキでしょ。伊庭有輝子さんって。昔の記事だけどさ、小惑星を二つも発見した天文少女って、ユキの地域の新聞に載ってたよー」
懐かしいものを見せられ、有輝子は小さく声を上げた。
画面に映っているのは女生徒達が言う通り、数年前の地域新聞の記事だ。記事は簡素なもので写真もないアーカイブだが、間違いなく有輝子本人を取り上げたものだ。
「ここにさ、発見者は名前がつけられるって書いてあるよ。ユキすげーじゃん、星に名前つけたんじゃん!」
「やぁっぱ天才だったんだねーっ」
「いや、それと天才とは特に関係ないのだけど……」
やれやれ、と思いつつ、有輝子は微笑む。
友達にこうして取り囲まれる毎日は、悪くない。
「で、この星、なんて名前つけたの?」
二人にワクワクした眼差しを向けられ、有輝子は少し間を取った。
この二つの星の名を口にする時は、いつだって胸が震える。
嬉しさと切なさと尊さの全てが一緒に広がっていく。
有輝子は中学校の屋上から見つめた空を思い描いた。
「白鳥すばる(shiratorisubaru)。コトリス(cotris)」
言葉の端から、星がキラッと光ったのを感じたのは、有輝子だけだろう。
二人の女生徒は顔を見合わせてきょとんとした。
「……今の、人の名前?」
「そうよ、昔の大事な友達のね」、有輝子は答えて席を立った。
「私、天文部の活動があるから。もう行くわね」
バイバイと手を降って、そのまま屋上に向かった。
☆ ☆ ☆
日が落ちつつある屋上では、数人の後輩たちが観測の準備をしている。
「あっ、伊庭センパーイ、待ってましたよーっ」
有輝子がやって来たのに気付くと、一年生の男子生徒が無邪気に手を振った。他の生徒も続けて有輝子の側に来る。
「有輝子センパイ、もう卒業ですよねぇ」
「そうよ、来週ね。今日だって卒業式の予行のために来たんだから」
「えーヤダヤダ、センパイがいたからペルセウス座流星群の撮影コンテストだって入賞できたんじゃないですか。センパイがいなくなったら天文部つぶれちゃいますよぉ」
「大丈夫よ、教えられることは全部おしえ……あーもう、泣くにはまだ早いでしょうっ」
ぐすぐす鼻をすすり始めた二年生の女子を、また別の女生徒がなぐさめる。
本当は有輝子も少し泣きそうになっている。
でもいつだって空を見上げれば体があたたかくなる。
どんなに寒く風が強い夜でも、空の彼方と通じ合った優しい思い出が心を包んでいく。
――私はもう、寂しくないわ。
有輝子の見つめる空の遠く遠くで、星が輝いた気がした。
「……スターゲイザー。ほしみるひとみ。みつめるひとみ……」
有輝子のつぶやきがかすかに風に乗ると、
「伊庭センパイ、何か言いましたか」
後輩の男子に声をかけられた。
「いいえ」
有輝子はただ小さく首を横に振った。
夕暮れの紫色と沈みゆく太陽も、地球の大気ですらも、あらゆるどんなものも越えて宇宙の片隅の小さな星たちと見つめ合っている。
――StarGazer
ほしみるひとみ
みつめるひとみ
ひとみるひとみ
ひとみとひとみ
StarGazereD――
☆了☆