StarGazereD  第10章 − 2回


 有輝子が手紙を読み終わったのを見計らって、担任教師が口を開いた。
「伊庭が小惑星の発見というのは納得できるんだが、その投稿の感じがいまいち伊庭らしくないと思ってな。どうなんだ」
 教師は顔を覗きこんできたけど、有輝子はもう手紙しか見ていなかった。
 ――小惑星、新発見……写真を撮って、それから、それから……
 何か思い出しかけている。
 とても大事なことを忘れている気がする。
 そうしたら手紙を握りしめて、有輝子は職員室を走り出していた。
 担任の声が背中に降って来たのも全く気にせず、階段を駆け上がり、地学室へ飛び込んだ。
「どこ、どこなの」
 教室の後ろにあるロッカーをあけ、中のものをひっくり返す。何を見つけなきゃいけないかもわかっていないけれど、何かがあると思えてならない。
 写真だけじゃない。もっと違う、とても形にはできない何かだ。
 やがて、ある一冊の本にはさまったメモを見つけた。この本は内容が入門者向けで、有輝子には簡単すぎて一読してお終いだった。有輝子以外には天文部員がいないから、他に誰も本を開くはずがないのに、メモはここにある。
 メモははくちょう座を解説したページにはさまっている。
 丸っこい小さな字で、星の名前が記されている。
『おおいぬ座シリウス、はくちょう座アルビレオ、北斗七星アルゴルとミザール、オリオン座小三つ星、おうし座プレアデス星団』
 有輝子の背中から脳天まで、ざわっと何かが走った。
 おうし座のプレアデス星団は、別名――
 すばる。
 有輝子の左手がほどけ、握っていた手紙が床に落ちた。
 視界の左側に白黒の写真が確かに映る。
 白黒写真の右隅にうすぼんやりと、星にも見えない染みのようなぼやけた点が、二つ写っている。
 心臓が大きく一度はねた。
 それも束の間、有輝子は教室を飛び出した。屋上へ走っていった。
 階段を一段昇るごとに、記憶の中から胸に星が降り注いでくる。
 流れ星は一つずつ、忘れていた光景を体中に広げていく。
 一段。
 ――上向き三角形になった口。
 一段。
 ――机につっぷして居眠りしていた後ろ頭と長い髪。
 一段。
 ――内またになった爪先を、寒そうに夜の屋上で震わせて。
 一段。
 ――ピント調節の邪魔にならないように、銀色のシートの上で正座してお茶を飲んで。
 一段。
 ――何度も「すごいね」と笑ってくれて。
 一段。
 ――この手を取って、「世界一の学者さんになって」と願ってくれた。
「はあっ、はあ、は……」
 有輝子は屋上にたどりついた。
 壊れそうに高鳴る鼓動を飲みこみ、ドアを一気に開け放った。
 瞬間、地球のどこでも見られない、満天の星空が空に広がっていた。
 空に手を向けてたたずむ、髪の長い女生徒の後ろ姿があった。
 でも――それは全て幻。
 午後三時の屋上は気持ちのいい冬晴れで、ゆるい砂ぼこりを舞わせながら、太陽の光りを浴びているだけだった。
 ここには地球の、いつもの屋上があるだけだった。
 有輝子は一歩、また二歩と、屋上に踏み出した。
 涙がこぼれて息が苦しくて倒れそうになって、それでも歩いた。いつも天体望遠鏡を置いている所にまで行った。
 雲一つない、星などあるはずがない空を見上げる。
 でも見えないからって、消えたわけじゃない。
「うっ……く、ひっく、ぅぐ……っ」
 有輝子は、あの小惑星を写した方角を見つめた。涙で視界がにじんで青空さえ白っぽくにごっているけれど、目を閉じれば星が輝いている。
 あの夜、確かに、星を見ていた。
「すばるぅーーーーーーっ!」
 体中全ての力を声に代えて空に放り上げて、有輝子は仰向けに倒れた。
「すばる、すばる、すばるっ……」
 全て思い出した。
 たった一人の友達。
 あらゆる全てのものを越えて、光より早く、果てから果てへと見つめ合った。
 有輝子は決して目を開けなかった。
 会いたい、会いたい、また一緒にいたい、会いたい――だから空を見上げない。
 ――すばるはスターゲイザードだから。私はスターゲイザーだから。
 二度と会わないために。願ってしまわないために。ただこの身を案じて忘れさせてくれたすばるのために。
「……わた、し……私、結局、一人では……なぁーんにも、できてなかったのね」
 すばるが有輝子のためにあの写真を投稿してくれていたから、小惑星につながれた。
 また、すばるにつながれた。
 どれだけ想ってくれていたのだろう。すばる。すばる。
 あんなに小さな頼りない女の子一人に、まるで敵っていなかった。
 本当はまぶたを開けたい。もう一度、すばるの星を見つめたい。
 すばるに寄り添ったコトリスの星も一緒に、瞳の中に並べたい。
 でも今はできない。願ってしまう。会いたい、寂しい、すばる、会いたい。
 それは叶わない、叶えてはいけない願い。
 ――私は、私は……
 進んでいかなきゃいけない。
 いつか、寂しくなくなるように。
 触れ合わなくても見つめ合えるだけで嬉しいと思える、その日を迎えるために。
 一人で強がっていて、一人では何もできていなかった日々を後にして。
「もう大丈夫よ」と伝えるために。
 有輝子の瞳からあふれる涙は、星の輝きをもって心の奥を照らしている。
 輝きはいつまでも途切れることはなかった。